振り返れば横須賀 | Sadistic Erotomania

振り返れば横須賀

本当にどれだけ恋はわたしを盲目にしていたかと気付かされる。


そんな冷静スキルを手に入れつつある、わたし、24歳。

もう笑い話にするしかないと思いつつも、なんだかちょっと、やっぱり、ショック。


それは「あばたもえくぼ」ではなく、なんというか、本当に気付かなかった。
そんなことは付き合うにあたって当たり前に存在すると思っていたから、それが欠けていたことになんて気付かなかった。



わたしね、あの人と一緒にいて、
「幸せ」だと思っても、「楽しい」と思ったことが少なかったように思う。

「嬉しい」と思ったことが、少なかったように思う。

「幸せ」と「楽しい」「嬉しい」なら、「幸せ」のほうが上っぽいじゃない?

だから、気付きませんでした。

今もそう思う、「幸せ」だと思えるなんてなんて幸福なやつなんだろうと。
だけど、あの時間が「楽しい」とか「嬉しい」で表現しても良いかというと、はてな?と傾げざるを得ないような、そんな期間だったような気がします。

うーん、すごく難しい。

なんとなく、わたしにとって「楽しい」「嬉しい」っていうのは「与えられる」割合が多いみたい、です。

与えて貰えなかったわけじゃない。
与えて貰う必要がないって思っていただけ。
だって、わたしが与えていたから。
それだけで満足だったから。

だから、「わたしは幸せだなあ」って言ってるだけで、「ありがとう!とっても嬉しい!」っていう気持ちになることが少なかったんだと思います。


それが悪いとは思わないけど、いやしかし、それは問題だったよな…と振り返り、振り返り。


与えることで満足する男女の関係なんて、長続きしないんだわ、きっと。
与えられることを無意識に拒否しがちだもの、与えられることを正常だと思えないんだもの。





そして、散々3時間くらいかけて打ち込んだ文章も、全て削除。

まとまらなすぎて断念です。


わたしは相手を無視した付き合いしか出来ないなんじゃないかって、またもや長い間落ち込んでおりました。が、そんなこと言わずに、彼としかやっていけない付き合いをしていきたいと思います。
がんばる。
あんある。

ブログブログ、ちゃんとやっていかなければ。ぐらぐらするぜ。