年を重ねるということ | Sadistic Erotomania

年を重ねるということ

20歳を超えて社会人になった人は、今のわたしのような小さなことは悩まず、大人の判断で簡単に結論を出してしまうんだろう。

わたしはそう思ってました。

でも、大人になっても小さなことで悩む。
大人だって、小さなことで悩む。

わたしが15歳で解決した問題を、いい年して悩む人もいる。
誰かが15歳で解決した問題を、わたしは今悩んでいるのかもしれない。

経験したことのない問題は、どれだけ年を重ねても悩む。

結論が出ないってわかってることだって、悩む。
結論はいつも同じになるってわかってることだって、悩む。
悩んでも結論が出ても、もうどうしようもない事態だってことだって、悩む。

いくつになっても、「昔は、今の年齢って、もっとずっと大人だと思っていた」って自分を省みて空しくなるんだろうと思う。
昔の認識が違うことに気付いているのに、そう空しくなるんだろうと思う。



今日で24歳になったのに、相変わらずゲームは卒業出来ないし、結婚だって遠い。

24歳の社会人なんて、好きで会社にいってるんだと思っていた。
かなりの割合の人間が、サザエさん症候群だなんて、知らなかった。
課長だって部長だって、会社嫌だなあ…なんて思ってるなんて、知らなかった。

わたしがこのブログを始めたのは、19歳のときでした。
もっともっと、19の時に抱えていた問題はすんなり解決するものだと思っていたよ。
もう単純に、24歳なんてもっともっと大人だと思っていたよ。


24歳なんていい年になっても、好き!だの、ちゅーしたい!だの、寂しい!だの、思う。

そんなの、19歳のときだって、思っていた。


でもこの5年間は、本当に本当に大切なものだったから、わたしは成長したんだろう。
「わたしの過ごした年月は大切です」と言えるのだから、成長したんだろう。

成長したし、そんな自分が幸せに感じられるし。



四捨五入20歳めちょちゃんを、しばらくまだまだ、よろしくお願いします。